【哲学】QOL(クオリティ・オブ・ライフ)とは?(人生と生活の質を考える)
人生の幸福度を計る概念として「QOL(クオリティ・オブ・ライフ)」という言葉があります。
これは日本語では「人生・生活の質」と訳される言葉で、「人生の幸福度の尺度」となる概念とされています。
調べてみると、なかなか画期的な考え方であり、人生の目的・目標を設定する上で役立つものだと思います。
そこで、この概念をよく知るため、具体的な説明を加えて紹介してみたいと思います。
QOL(クオリティ・オブ・ライフ)について
QOLとは?
QOL(クオリティ・オブ・ライフ)は、「人生の質」や「生活の質」と訳されています。
具体的には「個人の生活(人間らしさ、自分らしさ)においての幸福度」を尺度として捉える概念とされています。
なお、この観点には「健康」「人間関係」「仕事」「住環境」「教育」などがあるとされます。
また、広い意味では「恵まれた環境で仕事や生活を楽しむ豊かな人生(幸福な人生)」を指すとされています。
狭い意味では「医療分野で患者の生活を向上させて人間性や主体性を取り戻そう」という考え方を指すそうです。
参考知識:クオリティ・オブ・ライフ(wikipedia)、クオリティ・オブ・ライフ(コトバンク)
QOLの概念についての個人的な解釈
どこで知ったか忘れましたが、QOLという概念は「人生を考えるための有用な尺度」だと思った記憶があります。
しかし、概念が漠然としていて、いまいちハッキリしていません。
そこで、個人的に分かりやすく噛み砕いてみると、以下のようになると考えられます。
・人生の質:「個人における幸福度」または「主観的な人生の質」
・生活の質:「社会における幸福度」または「客観的な人生の質」
つまり、「人生の幸福度」には「自分目線の基準(主観性)」と「他人目線の基準(客観性)」が存在すると言えます。
よって、その両面から「人生の質」について考えて、QOLという尺度で計るのが解りやすいと思います。
QOLの観点についての個人的な解釈
wikipediaでQOLの観点を調べると、「健康」「人間関係」「仕事」「住環境」「教育」など様々なものがあるとされます。
また、「個人の収入や財産を基に算出される生活水準とは分けて考えられるべきものである」とも指摘されています。
このような内容から「幸福を計れるなら 具体的な基準は無い」と考えても良さそうです。
そもそも「幸福を感じる観点」は各個人によって異なります。
また「人生観の基準」も基本的には自分のものですので、観点については各々で設定するのが良いと思います。
「人生の幸福度(満足度)」を計れる基準を設けておけば、目的・目標を設けるための近道になるということでしょう。
QOL(クオリティ・オブ・ライフ)のまとめ
上記の事からQOLについてまとめると、以下のようになります。
・「人生の質」を指し、それには「主観」と「客観」という見地がある
・「人生の質」は「幸福」という抽象的な基準によって定められる
・「幸福」における観点については複雑かつ多様であり、明確な基準は無い
・「幸福」について、個人の収入や財産における生活水準は具体的な目安にならない
・「人生」における「幸福」の基準は、各々の「主観」によって定められるべきものである
・「人生の質」は「幸福」という抽象的な基準によって定められる
・「幸福」における観点については複雑かつ多様であり、明確な基準は無い
・「幸福」について、個人の収入や財産における生活水準は具体的な目安にならない
・「人生」における「幸福」の基準は、各々の「主観」によって定められるべきものである
幸福について
幸福について考える
「人生」における具体的な目的とは何なのでしょうか?
ふと、そのようなことを考えてた時にハッキリと答えを出すことができませんでした。
なぜなら、自分が存在の有無が、社会や世界において具体的な影響を及ぼさないだろうと思ったからです。
そこで、自分で考えたり他者と話し合った結果、人生の目的は「幸福の追求」であるという結論が出ました。
日本国憲法には「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利(第13条)」というものがあります。
つまり、国の法によっても「国民の幸福追求の権利」は認められているのです。
よって、人生には「目的を見つけて目標を立てて生きていくこと」が重要なのではないかと思います。
ただし、憲法の多くには「公共の福祉に反しない限り」という規定が設けられています。
そのため「他者や社会に迷惑をかけない目的・目標」である必要があると言えるでしょう。
参考リンク:日本国憲法(e-Gov)
幸福観を見直してみる
QOLというテーマから幸福について考えてみると、色々と思い返すことがあります。
まず、社会には「教育」「仕事」「恋愛」「結婚」「財産」などの漠然とした幸福の指標があります。
しかし、人間の価値観は生まれた国家・地域などのエリアや、家庭・生活などの環境に依存したものが形成されます。
つまり、あらゆる価値観そのものが、根本的に異なるのです。
そのため、漠然とに定められた「幸福基準」を満たしたところで、主観的に「幸福」を感じられるものなのでしょうか?
本当にそれで、人生を振り返った時に「幸福な人生だった」と評価する事が出来るのでしょうか?
個人的には「人生の質」において、社会的な「幸福基準」に囚われるのは勿体ないことだと思います。
まずは「自身の質」を見極め、自分自身に見合った「幸福基準」を定めることが重要になるのではないでしょうか?
QOLとブログスタンス
当ブログのスタンス
当ブログでは「節約・節制」をメインテーマとして挙げています。
また「QOL(人生・生活の質)の向上」をサブテーマの一つとして設けています。
どこかで誰かが「金は使えば使うほど減るが、知恵は使えば使うほど増える」と言っていた記憶があります。
そのため、当ブログでは使えば使うほど増える「知恵」を情報として発信していきたいと考えています。
今のところ拙い内容の記事が多いですが、発信した情報が読者の方々の幸福の援助になれば幸いです。
スポンサーリンク
スポンサーリンク
コメント
0 件のコメント :
コメントを投稿